街全体が世界遺産のタリン観光と、エストニア料理に舌鼓+おまけ付き

さて、エストニアはタリンの二日目。この日は観光で歩き回ること。タリンの旧市街は、サイズ的には表参道や原宿を歩くのとそう変りないくらい。そして道路はすべて石畳ですから、観光する手段としてはやはり徒歩が一番です。


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まずはホテルを出ると、その前にはすぐに城壁と塔が。
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見上げると、プロテスタントの教会。
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振り返ると、泊まっているホテル。
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古い屋敷を改造したホテルは、なかなか見栄えがします。
そのままテクテクと石畳の上を、旧市街の中心地まで歩いていきます。 街の中心にある広場からちょっと外れた、丘の上の国会議事堂などのある行政区域の方に向って、石畳の長い坂を登って行きました。すると目の前には、アレクサンドル・ネフスキー教会という、ロシア正教の教会が出現。
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そこでウダウダしていると、ドイツの敬老会(?と思われる)のおじいさん・おばあさんたちの団体に出くわしました。番号がついた旗を持ったガイドさんが、彼らを先導して、ドイツ語で街の説明をしています。そんな敬老団体に付いて行って、ガイドさんの説明を聞きながら、おじいさんたちと一緒に教会から国会議事堂までの間の文教地区を散策。
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こんなアホなことをしながら写真を撮っていると、ドイツのおじいさんの一人が、「どこから来たんだい?」と声をかけてきました。「日本だよ。」と答えると、周囲のおじいさん・おばあさんたちも一緒になって、「へぇ~」ってなもんで、たぶん「30へぇ」くらいだったでしょう。まぁ、ところどころ分からなかったドイツ語の観光ガイドを聴いて、それなりに一通り分かったつもりになった私は、敬老団体に別れを告げて、丘を来た方向とは反対方向に降りていきました。
そして次に向かったのが「占領博物館」。エストニアが帝政ロシアに占領され、その次にナチスドイツが入ってきて、そしてまたソビエトに占領され、1991年にベルリンの壁崩壊とともに再びエストニア共和国として独立を取り戻すまでの、約100年間の悲惨な歴史が、その当時の遺物とともに展示されています。
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展示の内容としては、とにかく共産主義国ソ連に「ファック・ユー!」と言った感じ。
1917年のロシア革命の後、曲がりなりにも独立国として成り立っていたエストニアは、第一次世界大戦後には、自らが掲げた「民族自決」の原理に従って、国際的にも独立国として承認されていました。
しかし、第二次世界大戦の始まりとともに、1939年6月、エストニアはソ連に占領されてしまったのでした。当時、反対派住民に対しては、逮捕・拷問・殺戮・シベリア送りが課され、ドイツの親衛隊(SS)の支援を受けたレジスタンスたちは、「森の兄弟」作戦と称してゲリラ活動を開始するも、ソ連側はエストニア人部隊によってこれの鎮圧を計り、内乱状態となり、ナチスドイツ対共産ソ連の代理戦争のようになってしまったのでした。さらに戦後には、ソ連のエストニアに対する搾取と弾圧は苛烈を極め、数万人がシベリア送りやアフガン送り、さらに拷問と処刑・KGBによる監視が続行されていきました。
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このように、KGBが使用していた電話盗聴器も、この占領博物館に展示されています。
占領博物館を出てからは、今度はタリンの中心街へ足を向け、大好きなスーパーで買い物。
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お土産用にニシンの缶詰を購入。日本はまだまだ連日30度を超える暑さとのことなので、持って帰るとシュールストレミングにならないか、ちょっと心配しています。
スーパーの後は、今度はKGB博物館へ。Sokos Hotelというホテルの23階にあり、ここは本当にソ連時代にKGBがタリンでの本拠地として使用してたところ。したがって、本当に人目に付きにくいようにしてあり、まず22階にエレベーターを使用して登ってから、小さな鉄扉を開けないと、入れないようになっています。看板と案内板がないと、ほんとうにどこにあるのかわかりません。中には、KGBが使っていた様々な電波盗聴器や拷問器具など、なかなかコアなものが展示されています。ここは館内撮影禁止。だから、その窓からタリンの旧市街を一望した写真を撮りました。
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KGB博物館の後は、やはり旧市街を抜けて宿泊しているホテルにいったん戻ることに。途中には門前花市場や塀の中のニット製品市場など、おもしろスポットがたくさんありました。
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タリンの旧市街は、街全体が世界遺産。その世界遺産の中では、マクドナルドも非常におとなしく、ドナルドの姿もありません。
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さてさて、一日中歩き回って、スマホの万歩計の歩数は既に一万歩越え。ホテルに戻った後は、シャワーを使ってさっぱりした後、午後6時ころに夕食に出かけました。向ったのは「Eesti Söögituba」と言うレストラン。ホテルのフロントのお姉さんに、エストニア料理が食べれるレストランを教えてもらったら、ここだという情報。
「一人めしでレストランに行くのか?」と思われる方も多いかもしれませんが、欧米では一人めしにレストランの2人用のテーブルを使用するのは普通のことです。実際に、パリでもイタリアの街でも、ドイツでも、地元の人たちはレストランで普通に「一人めし」をやっています。 場所は、旧市街の北方からPikk通りを街の中心広場に向って歩いて行くと、右手にありますが、地下ですので、しっかりと看板を探さないと見逃すかもしれません。
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到着したのは午後六時。この時間は、エストニア人や観光客たちにとっては、夕食を摂るには未だ早い時間であったようです。店内はまだがらがら。道路に出ているテラス席には、数組の観光客と思しき人々が、まだゆっくりと流れる時間を楽しんでいました。
まずはドリンクの注文。エストニア名物のビールを注文。店のお姉さんに、エストニア名物の食前酒を尋ねると、この蜂蜜入りのビールだというので、注文してみました。
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このグラスに書いている「SAKU」というのは、タリンの隣の町で、そこで醸造されているビールのブランド名にもなっている。そして注文した蜂蜜ビールは、このSAKUビールを基に、お店で調合して作られています。
この日はかなり歩き回ったため、かなり空腹。そこでエストニア料理でフルコースをやってみることにしました。まず、前菜として注文したのがサラダ。
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黄色いのはポテト。白いのはゆで卵。黒いのは薄切りの黒パン。ニシンのマリネも載っていて、下にはレタスが敷き詰めてあります。タリンは黒パンが旨い!バターやチーズ、そしてニシンに非常によく合います。
メインは羊。ラムチョップです。ベリーのソースが添えられていて、ポテトの台に盛り付けられています。
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ラムチョップは日本だとイタリア料理でも2本が普通ですが、ここでは1人前に4本付いてきました。エストニアでは、ラムは結構よく食べる食材だそうですが、一番よく食べる肉はポークだそうです。料理法もいろいろあるそうで、さすがに一日ではすべて試すことはできそうにありません。ラムの注文で正解でした。
デザートはやっぱりKAMA。これは、ヨーグルトとクリームを混ぜ、粗挽きの麦が入っています。
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ソースはクランベリー。甘さ抑えめで、日本でもデザートとして発売してもよさそうな味です。
最後は食後酒。VANA TALLINNという、地元のリキュールです。
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味的には、グラッパの香りとコワントローの甘味、そしてアカヴィットのハーブの香りを混ぜたような感じ。甘さ抑えめのKAMAやクッキーなんかにも合いそうな感じです。
この日のディナーをサーブしてくれたのが、こちらのお姉さん。
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ちょっとパンダメークですが、ファンデーションなしでもお肌はきれい。白人としてはなかなかのもの。結構かわいい感じのお嬢さんです。年の頃はまだ十代でしょう。
酔った勢いでツーショット。
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親子のようだとは言わないでくださいね。
さて、エストニアのタリンに着いて3日目。いつも何かと出てくるニシンのマリネも、そろそろ食べ飽きてきたころ。この日、フィンランドのヘルシンキから、Dr. Toomas Uibuが私を迎えに来てくれた。
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Dr. Uibuはエストニア人で、同じくエストニア人医師の奥様といっしょに、フィンランド中央駅の近くで、床面積約500m2ある巨大なクリニックを運営しています。彼はGymnasium(日本で言えば、中高一貫制の進学校)を卒業するまでエストニアに住んでいて、Gymnasiumはタリンで卒業。タリンに関しては、彼の地元のようなものです。ついでにタリンを案内してくれるということなので、ありがたくお願いしました。
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1918年~1920年の独立戦争を記念する自由記念碑。前日に、この前は通りがかったのですが、あまりにモダンなデザインなので、独立戦争の記念碑とは思わなかった・・・。
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城壁保存地区。タリンの城壁が最もよく保存されている。彼の母校Gustav Adolf Gymnasiumはこの城壁のすぐ内側、つまり手前側にあります。
cc0911f8.jpg旧市街の中にある行政府。霞が関みたいなところ。
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向って左側にあるのが、ロシア式劇場。
それから海軍博物館に向う。
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エストニア海軍の古い潜水艦。展示してある物の中です。
向かって左に見えるのが、魚雷装填口。
なぜか私は、でっかくて勇ましい空母や戦艦よりも、静かに潜航して、一発 きっついのを食らわせる潜水艦が大好きです。
さらにタリンのなかでも、観光客があまり行かないような、高級住宅街や旧王宮(今は大統領府)や最新式のデザインが施された屋外コンサート・ステージなどを車で案内してもらって、少し遅い昼食。その後、Dr.Uibuの車で、ヘルシンキ行のフェリーに乗り込んだのでした。